コロナ禍以降、植物にハマった。
植物は面白い。好きになった理由は未だに言語化できていないけど、植物を好きになってよかったことをあげておく。
あらゆる場所に展開している最強コンテンツ
道を歩けば草花はある。自然に生えた雑草、誰かが植栽した花壇。
自生してるものはおもしろい。小さい頃は見なかったような外来種が台頭していたり、これ雑草?というくらいデカい百合(タカサゴユリかな)まぁらそれも外来種らしいんだけど、植物の生命力はすごい。歩けないのに時間をかけて地球を渡り歩いてると考えたら壮大。
あと、一番面白いのは他人の家の庭や軒先。
その人がどういう意図で植栽してるのかどれくらい手をかけてるのか考えるのが楽しい。植物を好きになる前は家の前にあるプラスチックのプランターを見て汚らしいなぁと思うこともあったが、今は花を見てこの人は季節ごとの植物を丁寧に育ててるんだなぁとか、これは長年育ててるんだな、とか勝手に育てた人の人となりを想像して植物を眺めるのが最高にたのしい。
以前、軒先にそれはそれは大量の黒法師を大小様々なプランターで育ててる方がいた。私は思わず10分くらい立ち止まって眺めてしまった。黒法師はワイルドで多肉好きでも女性向けというよりは男性向けっぽい形をしている。花みたいな形をしてるエケベリアよりは野ざらしで育てられる気がするが、この家の人は大量に分岐してる黒法師だったし、かなり立派な大きさのものもあった。黒法師が大好きでその魅力に取り憑かれてるのだろうか…。
それをこうした道沿いに置く意図が「俺の黒法師すごいだろ?」と言っているような気がしてならない。偶然にも家主が出てきたら話を聞けないかな…などとおもったが、そんな偶然起きることもなく。
ただ道を歩くだけでエンタメがある。植物好きになってよかった。
ちなみに、商業スペースの植栽も面白い。フェイクプランツじゃないところは、「お金かけてるな」って思うし管理が行き届いてるところは好きになってしまう。横浜市内の商業スペースは良い場所が多いと感じる。あと、横浜市は植栽こだわってて、流石みどり税をとるだけある。このみどり税も植物好きになる前は意味不明だと思ってた。
仕事の役に立たないからこそ、癒やされる
テレビを見てもラジオを聴いてもゲームでさえ、仕事の接点がある。そういうセンサーが働く。
でも植物についてはそれがない。
自分の家で植物の手入れをしてるときは、ただひたすらに未来の姿を創造してそのための作業を行い備品を作ったりする。それ通り行くかどうか、結果が出るのは数ヶ月後、1年後、もっと先かもしれない。
インスタントに展開すぐに数値化、なんてことも多い仕事とは全然ちがう。
対峙していく自然は人間よりもはるかに長い歴史があり、当たり前の摂理が存在する。摂理に反することはできるが、それには負荷がかかる。
IT全盛期の時代に、こんなに自然に従った行為があるだろうか。
さらに植物というコンテンツは主に高齢者が中心。職場で「園芸仲間」なんて見つからない。雑談の種にもならない(一方的には話せるけど)
故に園芸友達はインターネットで知り合った人生の大先輩しかいない。それもまた楽しい。
また、園芸を始めてから趣味なんですか?と聞かれたときに答えられるようになったのも嬉しい。もちろん趣味の話をしたって職場で「園芸仲間」なんて見つからないしわ雑談の種にもならない(一方的には話せるけど)。
アブラムシの生態もオージープランツの種が火で焙ることで発芽する仕組みだから、オーストラリアの山火事は自然に組み込まれたものなのかも?という話も仕事に役立つことはない。明確気切り分けられた世界だから気分転換にも最適。
ちなみにオージープランツは、火であぶらなくてもスモークペーパーという燻した紙に包んでも良いらしい。また木酢液につけて発芽したという実験結果を書いてる人もいた。火属性なのね。
なお、オージープランツは日本の気候にはあっておらずシャレオツだけどなかなか育てられない。私は奮発して買ったバンクシアも枯らしてしまった。
そんな育てるのが難しいオージープランツをたくさん植栽してるのが赤レンガの近くのマリンアンドウォークヨコハマだったりする。ショッピングしたことはないけど植物を見に訪れたい場所。
因みに別にマメではない
趣味、園芸というと大抵は「マメなんだね〜!すごーい!」と言われるがそんなことはない。「私すぐ枯らしちゃって」という人もいるが、安心してほしい。私のほうが絶対枯らしてる。
なんなら、私は夫から「植物殺し」と言われたほどだ。
そして、こんなに楽しさを語ってる割には園芸歴は2年ほどのペーペーである。
そんな私も1年目は、楽しくて増やしすぎて手もたくさんかけていた。しかし次第に手が回らなくなってくる。
そしてきたる2年目、自分ができる限界や環境でできることを知り適度に手をかけ自然のままに育てている。
お陰で2年目はバラはどんどん咲き、去年は一輪しか咲かなかったクレマチスも次々と開花を迎えている。
まったりと見ることができるビオトープにめだかをいれたり、ベランダはどんどん癒やし空間に。自分の生活と植物の程よい距離で関係を構築している。
重要なのはマメさではなく、自分の生活との折り合いをつけながらお世話ができる距離感を見つけること。
あーでも、もしかしたらこれは仕事にも通じちゃうのかなぁ。