育休から復帰してついに1年経った。
というかまだ1年…公私共にとても1年とは思えないような1年間を過ごしたと思う。
1年間で変化したことは結構色々で、公私の公で言うと今までやっていた仕事と全く違うことをやっている。主な仕事は新規事業をつくると社内のAI活用推進で、本当はもう一つあるけど、まぁそれはいいとしてまるっと今までと違うことをやっている。
仕事量が死ぬほどあるのと、不確実性が高いことやってやってるので先が見えない。気をつけないとタスクがおじゃまぷよのように溜まって死ぬと思う。私は死なないけど。
公私の私の方で言うと、小学生と保育園児という異なる管理タスクが増えているという点が挙げられる。もうやばいよね。やばいって。小学校って急に明日、軍手もってきてくださいとか言ってくるからさ。保育園については一度固定されればって感じだけど、保育園には保育園の問題が色々あって大変だった。
何が良いたかって言うと、私はの個としての時間はどこにあるのだろう?ということ。脳が常に仕事と育児タスクだけで回っていてオーバーヒートしている。人間って一日にできる意思決定の数決まってるって言うが(だからジョブスは同じ服着ているの話)たぶん、いままでの2倍以上の意思決定をしないといけなくて、管理タスクも多分3倍くらいに増えていて。
そうして、気づいたら小さなスキマ時間にはインスタみたりどうでも良いことに時間を費やすようになっていた。そしてそれを認知したとき、これってヤバいループだなって思った。受動的な情報摂取で唯一の自分のために使える時間も埋めているんだから。
自分のための時間を増やそうと思い、放送大学に通うことにした。大学に行ってみたいなという興味は昔からあったが、AIの台頭で「自分でもできる気」になれた。入学も準備バタバタしたんだけど、それは割愛。
こうして、私のタスクに勉強が増えた。時間だけ見れば単純にタスクが増えているだけなんだけど、受動的な情報に自分の時間が奪われずかつ勉強をできたときの達成感が自己効力感を与えてくれる。4月から始めた新しいことの1つなんだけど、これは本当に始めて良かった。
だがしかし、受動的情報は常に手元にあるスマホから与えられる。例えば育児って自分の時間がいつとれるのか不確実な事が多いでしょう?だからちょっとしたスキマ時間についついショート動画を見てしまう。本当にどうでもいい情報しかないのに。これに辟易としながらも、対策を考えあぐねていた。なぜかと言うとこの小さいスキマ時間になにかすることはできないから。子どもが来たときにすっとやめられて、離れたら再開できることってあんまりない。ゲームとかは無理。本を読むなんぞもってのほか。
と思っていたのだけど、読む本を変えれば実現できることに気づいた。
難しくない本。1ページ1テーマくらいの本。読むと楽しいけど読まなくても困らない本。次男にボロボロにされても良い本。
雑誌とか新聞でもいいんだけど、そういう本を読むのならできることに気づいた。つまり本を読むハードルを下げた。眺めるだけで良いもの。そういうライトな選択的情報摂取が自分の心をラクにする。ずーっとスマホを見ているとあれもこれも知っておかなければならないが増えるんだけど、本の中はそこにあるがまま。読む本を選んだのは自分だし。
でかける時に1冊だけ本を持ち歩く。待ち時間に本を読む。本を閉じたら空や自然をみる。そういう時間が心にも身体にも余裕を与えて、戦場のような日々を乗り越えるための心の休息になるかもしれないと思った次第。