私の記憶力を担保するためのブログ

元々記憶力がいい訳じゃないけど子が生まれて記憶力に不安を覚えるよになったのでいろいろ記録しておく。

あのとき、結婚していたら今の自分はいなかったし、多分バツイチになっていたと思う

ふと思い出したことをとりとめなく書いておく。

 

20歳のとき、12歳上の人と付き合っていたのだが、その人はガチで結婚したい人だった。31歳になった私だから思うけど、20歳の子にあそこまでガチで結婚をもとめてくるのは犯罪だろ。まぁ当時は何も考えていなかった。

 

彼は普通のサラリーマンだったが、地方のボンボンで?お父さんは地元の有力者と友達なんだという話をよくされた。今考えるとすごくかっこ悪い。

 

一方で20歳のときの私は「よし!これから働くぞー!」という希望に満ちていたし、やっと自立できると喜びに満ちていた。学生時代は本当に大変で学費を払うために寝ずに働いたものだ。文字通り本当に寝ずにな。寝ずに働いていたのに自分の好きな海外ドラマが出たら当日にレンタルして見て寝ないで学校に行っていたりした。本当に若さとはまさにこれのことを言うな。

 

だから、結婚とか匂わされてもそれはいつかの話だろうと思っていた。高校生カップルだって「いつか結婚しよーね♡」とか言うじゃん。あれの一環だと思っていたのだ。

 

が、彼は実力行使に出た。

地元では知らないものはいないという?お父さんを召喚したのだ。お父さんは思ったよりおじいさんで、私と並ぶとどうみても、おじいちゃんと孫だった。

にもかかわらず、お父さんはいつ結婚するのか・仕事なんかするな家に入れなどというthe古き良き日本の概念を伝えて生きた。いや、実際は古き良きではなく、専業主婦という名の無償の労働者だ。

 

しかし、ハタチというのは恐れを知らない。二十歳と書いて「むてき」と読む。

 

「仰ってることは私の母が専業主婦なのでとても良くわかりますが、離婚したとき・死別したとき・彼が職を失ったとき・病気になったとき、家の稼ぎが減ることがどれだけ大変なことかわかりますか?私は、そうなったとき自分や自分の子供を守るために専門学校で勉強してきました。この考え方が間違っているなら理由を教えて下さい」

 

とお伝えした。いつもは明るくてよく話す彼も、それまで饒舌だったお父様も黙ってしまい、お通夜状態。おやおや。困ったものだ。

その日以来、彼は音信不通になり、もしかして大好きな父上に怒られたりして(実際どうなのかしらんが)ショックで自殺してしまったかな?と思って電話したら生きていたので良しとし、ジ・エンドとしました。

 

彼と結婚していたら、もしかしたら残業しお金がなくて、隣駅から家まで歩いて帰った(結局道がわからず帰れなかった)日々も、仕事が辛くて泣きながら帰ったあの日もなかったかもしれないし、不妊治療だってせずとも子供も生まれていたかもしれない。

 

もしかしたら、家のローンだって返し終わっていて(それはない)、毎日習い事とかに勤しんでいたかもしれない。空手を再開して黒帯までいっていたかもしれない(たぶんない)。

 

私が今生きている毎日は忙しくて眠いし、ときに孤独だし本当に大変なんだけども、人生の中では一番幸せで楽しい毎日だ。それは今までの積み重ねてきたお金の苦労・仕事の辛さといった、あのとき私が結婚を選択していたら味わうことなかったであろう大変なことが形成してるといっても過言じゃない。

嫌なことから逃げてはダメだ。ときに人は自分にとって大変なことだって選ばなくてはいけないだよね。(もちろん、精神を破壊し生きるより死んだほうがマシと思うようなことからは逃げてもいいと思うけど)

だから、私は今日も自分の選択した道を信じて生きていく。