私の記憶力を担保するためのブログ

元々記憶力がいい訳じゃないけど子が生まれて記憶力に不安を覚えるよになったのでいろいろ記録しておく。

私の黒い絵で両親は離婚した

私が高校生の時だったか、社会人のときだったか・・・記憶は定かではないのですがある時、母が私に言いました。

 

「あんた、小さい時は全然友達いなかったでしょ?だから幼稚園の時も小学校の時も先生がすごく心配してて、お母さんも心配してたんだよ」

 

たしかに、幼稚園~小学校低学年くらいは自分の世界・宇宙で生きているタイプの人間でした。イマジナリーフレンドもいたくらい自分の世界にズブズブでした。

 

「それでさ、小学校のときに授業で描いた絵を見て先生から電話がきたんだよ。娘さんの描いた絵、真っ黒に塗りつぶされていて、精神的な病気なのではないでしょうか?って。お母さん、それ聞いて離婚しようと思ったんだ。」

 

衝撃的な告白でした。私の描いた1枚の絵が親の離婚のきっかけになっていたとは。

私は黒い絵の真意について母に伝えられませんでした。遅かれ早かれ離婚していたと思われる家庭だったけど、私の描いた絵がきっかけで離婚するなんて・・・。

そんなこともすっかり忘れて現在に至るのですが、下記の記事を見て、完全に私だなと思ったのでした。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

私の両親は私が物心ついたときから常に喧嘩していました。ときには殴り合い、ときには父の浮気相手が家に乗り込んでくるなど刺激的な家庭でした。人間とは便利なもので嫌なことは忘れるようにできているのか、その頃の記憶は、あんまりないのですが、とにかく貧乏でクリスマスにサンタさんにセーラームーンの変身コンパクト(リボンがついているやつ)をお願いしたのですが、ただのリボン(真ん中に金色の飾りがついている)が届き、これじゃないと泣いて怒ったことは覚えています。泣いている私をみて母も怒りだし、その時にこれは買ってきたのではなく母が作ったんだな、サンタはいないんだなと悟りました。5歳のときです。

そんな常に綱渡りみたいな家庭でしたが、なんと私が幼稚園の年長さんのとき、引っ越しました。今思えばよくそんなお金があったなという気持ちなのですが、最初に住んでいた家より少しきれいなマンションで暮らすことになったのです。エレベーターもありました。時期が中途半端で年長さんの終わり頃に引越したので、引越し先では新しい幼稚園には通わず、そのまま小学校に入ることになりました。

さて前述したとおり、私は幼稚園にでも、人と接することのできないタイプで1人も友達がいませんでした。なので当然のごとく小学校でも1人で過ごしていました。

幼稚園の先生も結構心配したと思いますが、小学校の先生はもっと心配したことでしょう。小学校は、より集団生活を学ぶ場でもありますからね。

 

ちなみに、こんな私ですが幼稚園の外や学校の外に出ると友達はいました。近所の子とは仲良く遊べるのです。学校とか幼稚園とか集団生活の場に入ると自分の世界に入ってしまうので、他人と打ち解けることができませんでした。というか打ち解けるという概念がなかったのかな。

 

こんな経緯があれば、母は私が病んで黒い絵を描いたと思うに決まっています。

 

さて、黒い絵を描いた少し前、私は母に白はどうやって塗ればいいのか?と質問したのです。クレヨンセットには白が必ず入っているのですが、白い紙には塗っても見えません。

普通の家だったら黒い紙を買ってきたことでしょう。でも我が家は貧乏です。絵もカレンダーの裏とかに描いていました。母は黒いクレヨンを白い紙に塗りました。そして爪楊枝を持ってきて黒いクレヨンを削って絵を描いたのです。

小学校1年生の私はすごく感動しました。すごい!白い紙なのに白が塗れた!

更に母は、色鉛筆で何色かを塗りその上に黒いクレヨンを塗り、爪楊枝で削り出しました。すると、カラフルな線が出てくるではありませんか・・・!

 

今でいうスクラッチアートを母は教えてくれたのです。

私はこの衝撃が忘れられず、学校でもやろうとしました。

ですが、その事情を知らない先生から見たらカラフルな絵を描いていたと思いきや、それを全部黒く塗りつぶし始める精神が病んだ子に見えたのでしょう。

そして、当時の私の失敗は学校に爪楊枝がないということを知らずに描き始めてしまったことです。爪楊枝がなくて削れず、結局絵は黒いまま完成しました。

 

思ってみれば、先生も聞いてくれればよかったのに触れてはいけないと思ったのでしょう。母にその旨を連絡したのです。そして母もそれを聞いて納得してしまったのでしょう。

 

こうして、私はスクラッチアートを描きたかっただけなのに精神が病んでいると思われ、父と母は離婚したのでした。

 

 

これは後日談ですが、おそらく母が離婚を切り出したのであろうと思われる日、私と弟が帰宅したら父と母が殴り合いの喧嘩をしていて、一応止めに入ったのですが父が包丁を持ち出した時はまじで殺されるかと思いましたね。

まぁ、うちの父は私達を殺そうとしたのではなく自分が死んでやるみたいなことを言っていたようなのですが・・・。

 

おしまい。